事前相談〜余命を宣告された夫婦〜
投稿日: 投稿者:祈り百貨店
ある日の午後、私たちの葬儀社に、一組のご夫婦が訪れた。60代のご主人と、その優しい眼差しの奥様。ご主人は既に医師から余命宣告を受けているという状況で、彼の願いはただ一つ、最期の時が訪れた際に、愛する妻が何も心配せずに済むよう、全てを自分の意思で決めておきたいというものだった。
面談室で、ご主人は自身の希望を語り始めた。彼は穏やかな口調で、「私は妻が一人になったときに困らないよう、全てを準備しておきたいんです」と話した。その表情には、長年連れ添った妻への深い愛情と、彼の決意が見て取れた。奥様は隣で静かに頷き、時折彼の手を握りしめる。二人の間には、言葉を超えた理解と信頼があった。
ご夫婦にとって特別な思い出の地である北海道富良野のラベンダー畑。彼は葬儀の祭壇や式場を、その美しい風景に似せて飾ることを希望した。「ラベンダーの香りに包まれて、あの場所にいるような気持ちになれれば」と彼は言った。奥様もそれに賛同し、「富良野は私たちの第二の故郷のような場所ですから」と微笑んだ。
また、ご主人は葬儀の会食についても詳細なビジョンを持っていた。和洋中の料理をブッフェスタイルで提供し、参列者が自由に楽しめるようにしたいと考えていた。彼は「私たちが共に楽しんだ美味しい料理を、皆さんにも味わってほしい」と希望を述べた。そして、思い出のワインも欠かせないと付け加えた。
さらに、彼は生演奏のクラシック音楽を愛しており、特にチェロの音色が心に響くと語っていた。そのため、葬儀の場にはチェロ奏者を招き、彼の好きな曲を演奏してもらうことにした。「音楽は心を癒してくれますから」と彼は静かに話した。このように、彼の願いは細部にまで及び、彼の人生を象徴するような葬儀になることが次第に形作られていった。
最も心を打たれたのは、ご主人が病室で自撮りしたビデオメッセージだった。家族や親戚、友人たちへ向けたそのメッセージは、彼が苦しい中、息絶え絶えに語ったものであり、私たち担当者やスタッフも思わず涙を流してしまうほどの感動的な内容だった。「皆さん、僕は幸せでした」と彼は微笑んで語り、彼の声はまるでその場にいるかのように温かく、優しかった。
葬儀の日が訪れた。秋の穏やかな日、ラベンダーの香りが漂う会場には、ご主人を偲ぶ多くの人々が集まっていた。参列者たちは、彼が愛した富良野の風景に囲まれながら、彼の人生を振り返り、深い敬意の念に包まれていた。「彼の人生そのものがここにあるようだ」と一人の友人が静かに呟いた。
葬儀が始まると、チェロの音色が静かに会場を満たし、参列者はその美しい旋律に耳を傾けた。彼が愛した音楽の中で、彼の人生が祝福される瞬間だった。参列者の中には涙を浮かべながらも、彼の残した思い出を胸に、微笑みを浮かべる人も多くいた。ご主人のビデオメッセージが流れると、会場はさらに感動に包まれた。「彼は本当に愛されていたんだ」と誰かが呟いた。
ご主人の要望通りの散骨
ご主人の望み通り、菩提寺には納骨せず、その遺骨の一部は三浦半島の海へと散骨された。海は彼が生前、特に愛していた場所であり、彼の魂が自由に旅立つにふさわしい場所だった。この散骨は、彼の望みを叶えるための重要な儀式であり、私たちも心を込めて準備を進めた。葬儀社のスタッフが手配したボートで、奥様と数人の親しい友人が海へ向かった。海風に吹かれながら、彼の遺骨を静かに海に還す瞬間、奥様は彼が今自由になったのだと感じた。「海は彼の心を自由にしてくれました」と奥様は涙を拭いながらそう話した。
提案した手元供養のミニ骨壷
一方で、奥様にとっては、彼の存在をいつも身近に感じることができるようにと、小さなミニ骨壷を用意することを早期にご提案した。ご主人は、すべてを海に還すつもりでいたが、私は奥様が祈りの対象を見失わないようにするために、この提案が重要だと考えた。奥様はその提案を受け入れ、彼の遺骨の一部をミニ骨壷に納めることにした。
葬儀後、奥様と一緒に骨壷を選びに行った際、彼女は温かい色合いとシンプルなデザインの骨壷を選んだ。「これなら、彼もきっと気に入ってくれると思います」と、彼女は静かに語った。その骨壷は、彼女のリビングルームに置かれ、彼女の心の拠り所となった。彼女は毎日、彼の写真と共にその骨壷を見つめ、彼への祈りを捧げる時間を大切にしている。
この経験を通じて、私は生きること、そして死ぬことの意味を深く考えさせられた。ご主人が見せてくれた勇気と愛は、形を変えて彼の大切な人たちの心に永遠に刻まれるだろう。私たち葬儀社の役割は、ただの形式的なものではなく、人の人生を彩る大切な一瞬を支えるものであると再認識した。しかしそれ以上に、彼の生き様が、どんなに短い時間であっても、愛によって満たされることの大切さを教えてくれた。
このご夫婦のように、人生の終わりを自らの手でデザインすることで、残された人々が安心して新たな一歩を踏み出せるように。私たちはそのために、心を込めたサポートを続けていく。死という避けられない事実に対して、どのように向き合い、どのように準備するかが、実は生きることそのものをより豊かにする鍵であることを、彼らは身をもって示してくれた。
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