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東京都内に住む友人が両親の遺骨を伊豆の山寺に納骨することを決めた背景には、彼ら家族にとって特別な思い出があった。両親は生前、家族でよく伊豆の温泉を訪れていた。彼らにとって伊豆は、日常の喧騒から離れ、心と体を癒すための特別な場所だった。家族全員で温泉に浸かり、山の景色を楽しむひとときは、彼らにとって何よりも幸せで充実した時間だった。

両親にとっても伊豆は心の故郷のような場所であり、その地に根付く自然や文化を深く愛していた。彼らは伊豆の風景を眺めながら、家族の幸せを願い、これからの人生について語り合った。そんな思い出の地に両親を眠らせたいという願いは、家族全員の心に共通する想いとなった。

両親が亡くなった後、友人とその家族は、両親の遺骨を伊豆の山中にある寺に納骨することを決めた。その寺は、山の静けさに包まれ、四季折々の自然が美しい場所であった。春には桜が咲き乱れ、夏には緑が生い茂り、秋には紅葉が彩り、冬には雪が静かに積もる。両親もきっとここで安らかに眠ることを望んでいると感じたのだ。

毎年命日とお盆の頃になると、友人の家族はその山寺を訪れ、年忌供養を行う習慣を続けている。彼らにとってこれは単なる儀式ではなく、家族の絆を確かめ、両親の思い出を振り返る大切な時間である。供養の日には、家族全員が集まり、寺の本堂で手を合わせ、心を込めて祈りを捧げる。両親の遺影が見守る中で、彼らはそれぞれの心にある感謝の気持ちや思い出を語り合う。

今年は両親が亡くなってから10年の節目の年だった。孫たちも成長し、総勢十数人が集まることとなった。寺の住職は、彼ら家族の長年の供養に敬意を表し、特別な法要を執り行ってくれた。住職の温かい言葉に、家族全員が心を打たれ、涙ぐむ場面もあった。

供養を終えた後、家族はいつものように思い出の旅館に一泊することにしていた。その旅館は、両親が存命の頃からの行きつけで、まるで第二の故郷のような場所だった。旅館に着くと、懐かしい顔ぶれが待っていた。旅館の女将も、友人の両親をよく知っており、彼らの思い出話を聞いては涙ぐんでいた。

夕食の席では、家族全員が集まり、両親との思い出を語り合った。あの時の旅行のこと、この時の出来事のこと、皆が笑顔で語り合い、時には涙を浮かべることもあった。特に孫たちは、祖父母の話を聞くのが大好きで、彼らがどれほど家族を大切にしていたかを知ることができた。祖父母の温かさや優しさに触れた孫たちは、自分たちもまた家族を大切にすることを心に誓った。

翌朝、彼らは旅館の露天風呂に浸かりながら、静かな山の風景を楽しんだ。両親が愛したこの風景を、これからも家族みんなで大切にしていこうと心に誓った。伊豆の山寺での供養は、単なる家族のイベントではなく、彼らにとっての心の拠り所であり、両親との絆を深める時間であった。

友人は、これからも毎年この場所を訪れることを決めている。両親が眠るこの山寺で、家族が集い、思い出を語り合うことが、彼らにとって何よりも尊い時間だからだ。そして、いつの日か自分自身もここに眠ることを望んでいるという。伊豆の山寺は、友人の家族にとって永遠の故郷なのかもしれない。

この供養の旅は、家族にとっての大切な伝統となり、次の世代へと受け継がれていく。年忌供養のたびに、家族は新たな思い出を重ね、両親の存在を感じながら、未来へと歩みを進めていく。伊豆の山寺は、そんな彼らにとっての心の支えであり、家族の絆を深める場所であり続けるだろう。

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