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1. 母との楽しい日常

桜の花が咲き誇る季節、母と私の散歩の時間は特別なものでした。「見て、この花、まるで私たちの笑顔みたいね」と、母は嬉しそうに言いながら、色とりどりの花々を指差しました。私たちはいつも公園での散歩を楽しみ、時には近くのカフェでお茶を飲むこともありました。「あの時の旅行、楽しかったわね。あなたがあのレストランで食べたパスタ、今でも思い出すの」と母が微笑むと、私も自然と笑顔になりました。そんな日々の中で、母の存在は私の心の支えそのものでした。

2. 介護の現実

しかし、時は残酷です。母が認知症を患い、私たちの日常は一変しました。「お母さん、今日は何を食べたい?」と、私が尋ねると、「あら、あなたは誰?」という返事が返ってくることも増えました。最初は驚きましたが、次第に慣れていく自分がいました。仕事もままならず、介護の負担は日に日に重くなっていきました。ある日、ケアマネージャーとの面談で、私は思い切って「母をグループホームに入れようと思っています」と告げました。「それはとても難しい決断ですね」と彼女は優しく言いました。「でも、あなた自身の生活も大切にしなければなりません」との言葉が、私の心に響きました。
ヘルパーさんとの会話も、私の心を支えてくれました。「お母さん、今日も元気ですね。何か特別なことありましたか?」と尋ねると、ヘルパーさんは「今日はお花を見に行きました。お母さん、すごく嬉しそうでしたよ」と教えてくれました。その言葉が、私に少しの安らぎをもたらしました。

3. グループホームでの母

グループホームでの母は、音楽の時間にいつも元気に歌っていました。「お母さん、今日は何の歌を歌ったの?」と聞くと、「あのね、あの懐かしい歌をみんなで歌ったのよ」と目を輝かせます。その様子を見ていると、母が音楽を通じて他の入居者と心を通わせていることが感じられました。彼女の歌声は、まるで周りを明るく照らす光のようでした。母の笑顔が私に希望を与え、彼女が少しでも幸せを感じていることが私の心を救いました。


しかし、新型コロナウイルスの影響で面会が難しく、私の心は重くなっていきました。電話越しに母の声を聞くことが唯一の繋がりでしたが、時折「あなたはどこにいるの?」と不安そうに尋ねる母の言葉が、私の胸を締め付けました。ある日、母が転倒し、足を骨折してしまいました。「お母さん、大丈夫?」と病院で彼女の手を握ると、「ああ、心配しないで、私は強いから」と微笑む母。しかし、その微笑みの裏には、認知症が進行し、彼女が以前のように明るく振る舞うことが難しくなっている現実がありました。私も何とか彼女を支えようと奮闘し、時には涙を流しながら、毎日を乗り越えていくことを決意しました。

4. 最期の時

桜が満開の頃、母の病状は悪化し、とうとうその日が訪れました。病室に入った私は、母の顔を見つめ、「お母さん、私のこと、覚えてる?」と尋ねると、「もちろん、あなたは私の大切な娘よ」と言ってくれましたが、その目はどこか遠くを見ていました。その瞬間、私の心には悲しみと愛情が交錯しました。母と交わした最後の会話は、私にとってかけがえのない瞬間でした。「葬儀は、親族を呼ばなくていいから、静かにしてほしい」と母は言いました。「私の死に顔を見せたくないから」と、彼女は少し寂しそうに続けました。私は、彼女の思いを受け止めながら、その決意に胸が締め付けられる思いでした。母が私に託した言葉を胸に、私は彼女の意志を尊重し、静かに見送ることを決めました。

5. 二年後の桜

母の死から二年が経ち、3回忌法要の日が訪れました。霊園墓地の桜並木が、まるで雪のように舞い散る中で、私は母の面影を感じました。「お母さん、あの時のこと、今でも思い出すよ」と、心の中で語りかけました。あの春の日、母と過ごした幸せな時間が、今もなお私の心の中で生き続けています。桜の花が散る頃に思い出す母の微笑みや声が、私を優しく包み込んでくれます。

6. 母との絆を大切に

私の住まいには、仏壇の代わりに小さなフレームに入れた母の遺影があります。その遺影は、桜の咲く公園をバックに撮ったもので、まるで母がその場にいるかのような温かさを感じさせてくれます。また、蝋燭立てと花立をステージのように飾り、日々母との絆を大切にしています。時折、彼女に向かって「お母さん、今日も一緒にいるよ」と語りかけながら、一人暮らしの中で母の愛情を感じる瞬間が、私を支えてくれるのです。桜の花が散る頃、母との思い出を胸に、私はこれからも彼女を思い続けていくことでしょう。日々の暮らしの中で、母の愛が私を包み込み、心の安らぎを与えてくれるのです。

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