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母がこの世を去ってから、私の心にはぽっかりと穴が空いたような感覚が続いていました。彼女が残した一通の手紙が私の手元に届いたのは、彼女が亡くなった翌日のことでした。その手紙には、母が自分の死後に望んでいたことが、丁寧な文字で書かれていました。

手紙には、延命措置をしないこと、訃報を知らせる人数を少数にすること、葬儀はしないこと、そして永代供養の合祀墓に納めることなどが綴られていました。母らしい、シンプルでありながらも深い思慮が感じられる内容でした。彼女は生前から「自分の最期は静かに迎えたい。家族に負担をかけたくない」と話していたことを思い出しました。病院のベッドで穏やかに微笑んでいた母の姿が、今でも目に浮かびます。

私はその手紙を何度も何度も読み返しました。母が生前に何を考え、どのような気持ちでこの手紙を書いたのかを思い巡らせながら、彼女の希望にできる限り沿おうと決意しました。しかし、葬儀だけは、遺された私たち家族の間で相談した結果、親戚も含めた家族葬を執り行うことにしました。母の希望をすべて叶えることができなかったのは心苦しかったけれど、彼女の人生を共に歩んだ人々と最後のお別れをすることが、私たちにとっても大切なことだと感じたのです。

通夜はせず、代わりに家族だけで納棺を行いました。静かで、温かい時間でした。母の亡骸に最後のお別れを告げるとき、やはり涙が止まりませんでした。母はいつも私たちを優しく見守ってくれていました。その彼女が目の前にいるのに、もう話すことができないという現実が、胸に重くのしかかりました。

告別式には、遠方からも親戚が参列してくれました。母のために集まってくれた人たちの温かさを感じ、私は少し救われた気持ちになりました。生前、音楽をこよなく愛していた母のために、知り合いの声楽家にお願いして、母の祭壇前で歌を歌ってもらいました。彼の歌声が響く中で、私は母の笑顔を思い浮かべました。音楽に包まれたその瞬間、母が喜んでいるような気がして、心が少しだけ軽くなりました。

母の遺した手紙は、私たち家族にとって大切な指針となりました。母の思いを尊重しつつも、私たちなりのやり方で彼女を送り出すことができたことに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。母の願いをすべて叶えることはできなかったかもしれないけれど、彼女が私たちに託した「こころづもり」を胸に、これからも生きていこうと思います。

母がいなくなった今でも、彼女の声は私の心の中で響き続けています。彼女が教えてくれた大切なことを忘れずに、日々を大切に生きていくことが、私にできる一番の恩返しだと思います。母はきっと、どこかで優しく見守ってくれているに違いありません。そんな風に思いながら、これからも母との思い出を大切にしていこうと、心に誓いました。

手紙を読み返すたびに、母の温もりが思い出されます。彼女の言葉ひとつひとつには、私たち家族への深い愛情が込められていました。小さな頃、母に読み聞かせてもらった絵本のこと、初めて一緒に作った料理のこと、そして、思春期の私を支えてくれた母の優しい言葉。すべてが今でも鮮明に蘇ります。

葬儀が終わり、日常が戻ってくると、母がいない寂しさが一層募りました。ふとした瞬間に、母がそこにいるような気がして、振り返ることが何度もありました。でも、そのたびに、彼女の思いを胸に、自分がしっかりしなければと自分に言い聞かせました。

母が遺した手紙は、ただの言葉の羅列ではなく、彼女の生き様そのものだったのかもしれません。静かに、でも確かに私たちの心に刻まれたそのメッセージは、これからの私たちの人生の道しるべとなってくれることでしょう。

いつか自分の番が来たとき、母のように大切な人たちに何を遺せるのか、そんなことを考えるようになりました。母が私たちに託してくれた「こころづもり」を忘れずに、これからも一日一日を大切に生きていきたいと思います。彼女が私たちに教えてくれた愛と優しさを、次の世代へとつないでいけるように。

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